カラーチェマンドリンの歴史

カラーチェ マンドリンの歴史

 

カラーチェマンドリンの歴史

初代 ニコラ・カラーチェ Nicola Calace (1794~1869)

 1794年、ナポリにに生まれる。1825年、31才の時にカラーチェ社を創立、ギター奏者としても有名であった。息子アントニオに技能と技術を継承し、1869年死去。

2代 アントニオ・カラーチェ Antonio Calace (1828~1876)

 父の技能と技術を受け継ぎ、カラーチェ社の発展に貢献した。リュートやギター奏者としても有名だった。彼の息子たちに技能・技術を継承し、1876年死去。

3代 ニコラ・カラーチェ Nicola Calace (1859~1923) アントニオの長男

 1859年ナポリに生まれ、弟ラファエルと協力しカラーチェ社の発展のため、多くの業績を残した。この時期にFRATELI CALACE社と社名を変更し、MANDOLIRAの特許権をとった。作曲家、演奏者、歌手としても有名で1907年アメリカに移住し、1923年アメリカにて死去。

4代 ラファエル・カラーチェ Raffaele Calace (1863~1934) アントニオの次男

 1863年ナポリに生まれ、父の技能・技術を受け継ぎ、マンドリン改良に大きな業績を残した。19世紀中ごろまであったいろいろな形のマンドリンはナポリ風が支配的となり、現在のようなマンドリンになった。カラーチェ・マンドリンを一層有名にしたのは、このラファエルでマンドリンの作曲、演奏にも一家をなし、カラーチェのマンドリン教本は著名である。1925年(大正14年2月)日本を訪れ、天皇陛下の御前演奏会をも開き聴衆を魅了した。天皇陛下はラファエル・カラーチェに称号と勲章をさずけられた。この期間中に、社名を Prof,Comm,Raffaele Calace & Figaloと改名した。

5代 ジュゼッペ・カラーチェ Giuseppe Calace (1899~1968) ラファエルの次男

 1899年ナポリに生まれ、幼年より父につきラファエル・カラーチェ社の発展に貢献した。又、マリア、ビクトリアの2人の妹と共にトリオを結成し、ナポリのSt.Carlo劇場で演奏会を開いた。第2次大戦後、再びカラーチェ社を創立した。時のビットリオ、エマヌエル皇席は彼に称号を授けた。

6代 ラファエル・カラーチェJr. Faffaele Calace (1948~   )ジュゼッペの息子

 1948年ナポリに生まれる。先祖の伝統を受け継ぎ、優れたギター奏者、マンドリン奏者として幼年のころより注目された。1968年カラーチェ社を受け継ぎ娘のアンナマリアと共にカラーチェ・マンドリンの製作にあたっている。