オーボエの歴史

オーボエの歴史
 

オーボエの成り立ちと歴史

オーボエの原型は中東で発生したシャルマイやシャウムと言われている。木製の本体にはキーは無く、数個の穴が開いた程度の簡素で短い姿であった。このシャルマイはその後インドや中国を経由して日本にはチャルメラとして伝わった歴史がある。これらは今日のオーボエと同じように2枚のリードを持つものであったが音は粗雑で、合奏し音楽に使えるようなものではなかった。日本でも屋台の中華そばの笛として利用されているに過ぎなかった歴史上がある。
それとは別にヨーロッパに伝わったシャルマイは、当時の音楽に使えるように徐々に改良が加えられていった。大きさはかなりバリエーションがあり、高音域を得意とするごく短い物から低音域専用の大型のものまであった歴史があるが、大型のものはバスーンへと発達し、また一部はイングリッシュホルン(コーラングレ)やオーボエダモーレとして残っている。
15~16世紀にフランスで改良され現在のオーボエに近い形状になったが、まだキーは搭載されていなかった。18世紀になりキーの数が2鍵のものから徐々に10鍵程度のものまで発展していった歴史がある。


コンセルヴァトワール式の歴史

 1800年代になり、革新的で大きな改良を加えオーボエを音楽の主役へと導く発明があった。パリ音楽院の教授陣と楽器製作者トリエベールの研究と試作の末、コンセルヴァトワール式のオーボエが開発された。このシステムは瞬く間にドイツなどヨーロッパに広がり、多少の改良は加えられながら最も普及しているのオーボエのシステムになった歴史がある。現在世界中のメーカーが製作しているオーボのほとんどはこの方式である。世界でもっとも有名なオーボエ、マリゴ社の801もこのコンセルヴァトワール式である。


ウィーン式(ウィンナオーボエ)の歴史

ウィーン国立音楽院の教授であったウンデラーはパリ音楽院のコンセルヴァトワール式に疑問を持ちそれ以前の、原型に近い音色と形状を持ったジャーマン式オーボエを改良し、独自のシステムを開発した。この独特な音色のオーボエは音色重視のため運指が非常に難しく、プロのオーケストラでは何よりも音色を重視するウィーンフィル、ウィーン交響楽団などごく限られたオーストリアのオーケストラのみで常用されている。
全盛期メーカーは数社あったが、最後のツーレガー社が製造を止めたことで新しいものを手に入れることができなくなくなり歴史が途絶えた。しかしその後ウィーンフィルから懇願され1982年に製作を始めたヤマハのみが、世界唯一のウィンナオーボエYOB-804を製作している。


ジャーマン式(ドイツ式)の歴史

ジャーマン式オーボエは、かつてドイツで作られていた歴史的なシステムのオーボエである。メーニッヒなどハンドメイドで非常に質がよいメーカーもあり、世界的にも普及し多くのプロ奏者も使用しているオーボエだった。しかし楽器の一大生産地のマルキノキルヒェンが第2次大戦後東ドイツに属したことで、社会主義体制のもと大量生産工場制を強いられたため品質が落ちた。そのため使う奏者が減り、かつコンセルヴァトワール式の台頭で一気にすたれてしまった歴史がある。


ベーム式の歴史

1840年代にクラリネットの改良に成功したベーム式をオーボエに応用した方式である。フランスのビュッフェ社が製作したが、これまでの中で一番音色が悪く、音量のバランスも良くないことなどから普及することは無かった歴史がある。